今回は小名浜にある、いわきの観光名所として有名なアクアマリンふくしまに行ってきました。
アクアマリンふくしまは、正式名称を「ふくしま海洋科学館」といい、教育施設の要素に加えて観光施設の側面を持っています。施設の全体的なテーマは福島県沖合に現れる「潮目」になっており、自然や環境を再現していて、様々な体験ができる水族館です。
小学生の頃に何度か行ったことはありましたが、今回改めて行ってみると、展示の仕方に様々な工夫があることが分かりました。まず、化石や昔から存在するオウムガイなどの展示から始まり、現在の環境に至るまでの過程が学べるような造りになっています。生命の進化を辿っていき、まるでタイムスリップしたような気分でした。
アクアマリンふくしまの研究テーマの中心であるシーラカンスの展示も見てきました。生物が進化の上で辿ってきたかもしれない種類の魚がまだ生きているというのは不思議だなと感じ、シーラカンスについてもっと知りたいと思いました。
また、釣り場があり、そこで釣った魚を塩焼きや唐揚げにして食べることができます。そういった他の水族館ではできないようなことができるのも魅力の1つだと思います。
6月21日(日)には調(た)べラボというイベントが開催されます。これは福島で獲れた魚の安全性について知ることのできるイベントで、毎月開催されています。さらに、7月20日(月)には開館15周年を記念して「わくわく里山・縄文の里」がオープンするそうです。日本人が縄文時代から培ってきた人と自然の共生の在り方について学ぶことができます。そこではカワウソの展示もするそうなので、ぜひ行ってみてください。
编辑者:かみや
ふくしまDCとは、デスティネーションキャンペーン(DC)とはDestinnation(目的地、行き先)とCampaign(宣伝)の合成語で、地元観光関係者や自治体とJR6社等が協力し、全国の旅行会社等の協力を得ながら、一定期間(3ヶ月間)重点的かつ集中的に全国で宣伝販売が展開される国内最大規模の観光キャンペーンです。
今回、ふくしまデスティネーションキャンペーンの中に4月9日(木)、いわき市内郷白水町にある福島県の国宝である白水阿弥陀堂に行ってきました。この日は、快晴でとても気持ち良かったです。初めて訪れる場所だったので、楽しみにしていました。白水阿弥陀堂に向かう途中沢山の桜の木が満開に咲いていてとても綺麗でした。
白水阿弥陀堂は、1160年に岩城則道公の妻徳尼が夫の供養のために建立したといわれています。美しい曲線を描く屋根と浄土式庭園が調和した優美な姿を見せてくれます。
赤い橋を渡っていくと、大きな池があり、亀が日光浴していて鯉や鴨が優雅に泳いでいるのを見て可愛らしかったですし癒されました。お堂の優雅さと、浄土式庭園の美しさがとても魅力的でした。お堂は、東日本大震災の時に損傷を受けてしまったのですが、現在では修復したと聞きほっとしました。また、参拝で訪れている人もいましたが、庭園内を散策している人も平日にも関わらず多く訪れていました。
また、福島県では、「福が満開、福のしま。」という、一般公募したロゴマークとスローガンをもとに県全体で盛り上げていきます。イベントやDCならではの特別企画なども盛りだくさんです。開催期間は、平成27年4月1日から6月30日までです。 ふくしまデスティネーションキャンペーンを利用して、もっとお得に福島県を体験してみてください。今回、私たちが訪れた白水阿弥陀堂では、全国的にも珍しい新緑のライトアップをするそうです。期間は平成27年4月25日から5月24日までです。
皆さんも是非、白水阿弥陀堂に足を運んでみてください。きっと福島の魅力を感じられると思います。
编辑者:ちーずっこ
3月21日、22日、23日に東京(高円寺)で情報交換イベントを開催しました。 私達が今まで続けてきた情報発信プロジェクトから発信される情報が、福島県以外の方々から、どのように見えているのかを知ることで、今後のプロジェクトの方向性や情報発信の内容を改善することが目的です。
21日には、「福島(いわき)を東京(高円寺)で考える」と題した意見交換会が行われました。 高円寺地域からは、高円寺商店街連合会事業部長の吉田様、杉並区商店街連合会青年部の上原様、高南自治会長の柿崎様、新高円寺通商店街振興組合副理事長の大出様、高円寺中央地区民生委員児童委員協議会会長の上原様に参加して頂き、東日本国際大学からは経済情報学部長であり大学全体の統括責任者でもある福迫教授と情報発信プロジェクトの責任者である浅井教授が参加しました。 また、参加した学生は韓国からの留学生キム・ミヒョンさんと卒業式を終えたばかりの4年生、メタボ男、木が二本、マゥスマン、3年のモン吉が参加しました。
参加者からは、「ネットを活用して鮮度の高い情報を発信することも大切だが、人間同士の口コミの影響力の方が強いので、原発に近い大学で生活している学生が、東京(高円寺)に来て現状を話す方が効果的だ」、「いわきグローバルマルシェで紹介している物の展示や販売を行ってみてはどうか」、「これからも正確な情報を発信していくべき」「今やれることをやる、きっと何か新しい繋がりが生まれてくる」といった貴重なご意見や励ましの言葉を頂くことが出来ました。
期間中を通して、商店街を歩く一般の方々を対象にギャラリー形式で展示・発表を行いました。「マス・メディアや個人のブログと違い、偏った感情や様々なノイズに紛れない、福島県の生活者の声を継続的に発現するのはとても大事であり、これからやっていくべき」、「韓国や中国の留学生が、福島(いわき)から情報発信していることに、とても驚いた。」などの、ご意見やご感想を頂きました。
私達の発信している情報が、どのように受信されているのか、福島県(いわき市)だけで活動していると、井の中の蛙に例えられる不安がありました。 今回のイベントを通じて、東京という福島から離れ、かつ日本にとって特別な場所から見直すことで、少なからず、福島の生活者の現状を伝える私達の活動の価値を再確認することができました。
まだまだ沢山の課題を乗り越えなければなりませんが、福島(いわき)の人間として、復興から振興という新たなステージへ向けて、頑張って行きたいと感じました。
编辑者:モン吉
4月15日(火)、私は韓国人留学生のキムミガンさんと共にいわき市勿来町にある勿来関文学歴史館に行ってきました。私は、茨城県出身なので、茨城との県境にこういった場所があるのも分かりませんでしたが、勿来の関とその歴史館に興味が湧き、今回初めて訪れました。
この歴史館は、勿来の関の歌碑の奥にあります。勿来の関の坂道を登っていくと、歌碑には、沢山の勿来に関する和歌が詠まれていました。平安時代の武将源義家の「吹風をなこその関とおもへども道も背に散る山櫻かな」(花を散らして吹く風は勿来関には来てないはずなのに、道いっぱいに散っている山桜だなあ)の和歌がありました。暖かい春の風と沢山の山桜がひらひらと舞っていてまさに、この季節だったのかなと思う瞬間でした。松尾芭蕉や小野小町などの歌人も和歌を詠んだ有名な歌枕もあり、沢山の歌人が勿来の関をこよなく愛していたことが伝わってきました。
勿来関文学歴史館は、昔の勿来の関の跡に建てられた和歌を中心とした文学と歴史の資料館です。勿来は関東と東北を分ける関として、古来より「来る勿れ(くるなかれ)」と言った枕詞で和歌に歌われてきたそうです。
そして、1階には、「不思議タウンなこそ展示室」という不思議な世界の作りになっていて江戸時代の江戸の雰囲気・町並みを再現していました。歴史体験ゾーンもありお子様連れのご家族にも楽しみながら歴史を学ぶことができると思います。おみくじや沢山の仕掛けがあり、江戸時代にタイムスリップしたかのようでした。
2階には、「歌枕なこそ展示室」という平安時代からよみつがれてきた勿来関が春・恋・道・志の4つのテーマで現代によみがえる歌の世界を表現しています。源義家や小野小町と言った有名な歌人の勿来に関する和歌を映像を交えながら紹介していたので、分かりやすく歴史を学ぶことができました。
また、歴史館入り口の前からは、いわき市の勿来海岸が見え、良い眺めを堪能できます。吹風殿には、勿来の関が歌枕に詠まれた歌人の住まいと庭園があり、日本古来の文化を感じられると思います。そこには、様々な種類の桜が咲き乱れていました。春の温かい風が吹いていて、とても美しかったです。勿来の関公園一帯は、広々としていて、ハイキングやお花見をする人たちでとてもにぎやかでした。皆さんもいわき市を訪れる際は、是非、勿来関文学歴史館に足を運んでみてください。
编辑者:ちーずっこ
1月10日(金)、私はメタボ男とともに、いわき市にある金刀比羅神社の例大祭に行ってきました!“こんぴらさま”の愛称で知られている同神社ですが、大祭には県内外からおよそ15万人もの参詣者が訪れ、沿道には約400店もの露店が軒並みを連ねています。
もともとの起源は、江戸時代に船での流通が盛んであったために金毘羅信仰が布教し、それが全国に広まったのがきっかけと云われており、その影響か”桜エビ”を売っている縁日も多くありました。
そして、今年は人生初の熊手を買いました!これで去年に負けないくらいの福をいっぱいかき集めたいと思います(^^)
编辑者:マゥスマン
11月21日(木)、渡辺町の中釜戸という場所にある、「シダレモミジ」の観光に行ってきました。
なんと!このシダレモミジは、「国指定天然記念物」に登録されています。樹種はイロハカエデという種類で、樹幹がねじ曲がって各所にコブが出来ています。本来、このイロハカエデは、このようにねじ曲がって成長する習性はなく、大変珍しいようです。また、傘状に大きく広がった樹冠は見ごたえがあり、迫力があります。
11月後半に観光に行ったので、シーズンが過ぎてしまっていないか心配だったのですが、きれいに色づいていました。むしろ、写真を見ていただくとお分かりになるでしょうが、まだ若干色づきが淡い気がします。
シダレモミジの挿し木もしてあり、小さいながらも立派に成長していました。この子孫の木も大きくなり、やがて母株に負けないような、立派なモミジに育って欲しいです。
编辑者:木が2本
11月16日(土)、2度目の白水阿弥陀堂のライトアップがあったので、観光に行ってきました。お気づきの方もいらっしゃると思いますが、白水阿弥陀堂の記事をアップするのは2度目になります。
去年も同じ時期にライトアップされていたのですが、当日、カメラを持ち合わせておらず、携帯電話での撮影となってしまいました。しかし、今回は一眼レフカメラを持参し、キレイに撮影することが出来ました。観光に行った日が土曜日であったからなのか、去年より人がたくさん来ていると感じました。メディアでの広報が頻繁に行われていたので、感覚的に去年の2倍以上ほどの拝観者数だと思いました。
去年も観光させていただいたのですが、何度見ても綺麗でした。暗闇にぼんやり光る、赤と黄色のグラデーション…
ため息が出てしまいそうでした。
下の画像にもありますが、水面に映る紅葉が幻想的な雰囲気を醸し出し、現実を忘れて、夢のような世界に浸ることが出来ました。
ライトアップのイベントはすでに終了してしまったのですが、定休日以外は観光することができます。福島県の建造物として唯一の国宝である白水阿弥陀堂、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
编辑者:木が2本
先月10月27日に私が通っている東日本国際大学で学園祭(鎌山祭-れんざんさい-)が行われました!!
テーマは「Power to the people-まばゆい未来に続く虹-」このテーマには大学がいわきの未来へ力を与える存在になり、そして未来へと続く架け橋になれるように、という願いが込められており、「まばゆい」という言葉にはキラキラ光り輝いて確実には見えないボンヤリと見える未来を表しています。
メインステージのバックには人々と協力し合うということをテーマに作られたパネルが配置されました!
催し物として、仮装大会、留学生による弁論大会、地元の平商業高校・いわき総合高校によるフラダンスショー、我が大学の軽音楽部による音楽フェスや東北を拠点に活動しているユニットnotice it、富澤タクさんのライブなど内容濃い学園祭となりました!!
実は展示部門で情報発信プロジェクトが理事長から賞を頂きました! 引き続き頑張っていきたいと思います!!
编辑者:モン吉
10/5いわき明星大学で行われました、「はまどおりのきおく」という講演会に参加してきました。
講演者は写真家の「上遠野 良夫」さんと「酒井 英治」さんでした。
上遠野さんは、1944年生まれで「いわきの詩」など数多くの作品を発表している方です。
酒井さんはモーターパラグライダーで撮影をしている方で「かもめの目線」シリーズを発表されています。
この、「はまどおりのきおく」というのは、いわき明星大学を主体とした東日本大震災の様子を記録するプロジェクトなのだそうです。
上遠野さんは震災前は、あまりにトキメイた写真を撮ったことがなかったそうだ。 だが震災後は津波の後や復旧向かっていくようすを暇さえあれば海岸沿いを歩き撮影しているそうです。
酒井さんは震災前、遊びの延長でモーターパラグライダーで撮影していたが東日本大震災後は震災後の様子を後世に残し伝えるために撮影しているそうです。
展示するのも震災で心の傷が癒えていない人々に津波が去った後の写真を見せていいのか?という葛藤があったそうです。
現在でも、お二人はシャッターを切るたびに葛藤していると仰っていました。
東日本大震災から2年が過ぎ落ち着き記憶が風化し始めているので、このタイミングに展示・発表を行ったそうです。
最後に酒井さんが仰られた言葉が自分の心の中に残っています。
その言葉は「このことを忘れないために後世に伝えていくには、映像もそうだし写真も大切だが人が語り継いでいくことが最も大切である。心と心、手を繋ぎ合って良い社会にしていこう!」
復興していく中で人々は震災の記憶を消そうとしてしまうが、その記憶を後世に伝える必要があり同じ経験をしてもらいたくないという意味が込められているような感じがしました。
今でもガレキ処理が進んでいない地域が沢山あります。
被災地ではない所では、もう復旧していると思われがちですが、現実はまだ進んでいないことを皆さんに知ってもらいたいです。
编辑者:モン吉
今日で震災から二年半が経ちました。
福島県いわき市にある薄磯地区では、僧侶らによる月命日の供養が行われ、小名浜地区では警察官をはじめとした方々が黙祷をした後、行方不明者・遺品の搜索を実施したといった報道が某放送局の特集で報道されていました。
上記のことはなにもその日に限ったことではありません。みんなが一生懸命地域の復興、こころの復興に向けて日々努力しています。
未だ暗雲立ち込める原発問題も、震災から三年を迎えた頃には一筋の光明が差すようになっているのでしょうか。
そうなっていることを願って、私個人としても日々前進していこうと思います。
编辑者:マゥスマン